修学旅行の意義と費用負担

自治体・行政の視点を踏まえて、子どもたちの学びを考える

小中学校の修学旅行について考えるとき、多くの人がまず思い浮かべるのは、子どもたちの楽しそうな笑顔かもしれない。友だちと過ごす特別な時間、初めて見る景色、胸に残る出来事。その一方で、案内文に記された費用を見て、少し胸がざわつく――そんな経験をした保護者も少なくないだろう。

修学旅行は、単なる「思い出づくり」ではなく、教育課程に位置づけられた大切な学びの機会である。事前に調べ、現地で確かめ、帰ってきてから振り返る。その過程を通して、知識は体験として子どもたちの中に残っていく。教室の外で得た学びは、時を経てもふとした瞬間に思い出され、人生の支えになることがある。 また、集団で寝食をともにする経験は、子どもたちを少し大人にする。思い通りにいかない場面に出会い、誰かを気遣い、時には自分の気持ちを抑える。そうした一つひとつの経験が、社会の中で生きていく力につながっていく。自治体や行政の視点から見ても、修学旅行は、数値では測れないけれど確かな価値を持つ教育活動だ。 だからこそ、その費用が家庭にとって大きな負担になってしまう現状には、心を寄せたいと思う。経済状況は家庭ごとに異なり、「行かせてあげたい」という思いと「現実」の間で悩むことがあってはならない。教育の場で、そうした葛藤が生まれてしまうこと自体が、少し切ない。

自治体では就学援助制度などの支援策が用意されているが、申請への心理的な壁や、周囲の目を気にする気持ちは、決して小さなものではない。支援があるのに、届きにくい。その隙間に、子どもや保護者の不安が静かに残ってしまう。 修学旅行を「家庭の事情に左右されやすい行事」としてではなく、「誰もが参加できる学びの時間」として守っていくこと。そのために、自治体が一定の費用を支える仕組みを整えたり、学校とともに分かりやすい説明を重ねたりすることは、子どもたちへの大切なメッセージにもなる。「あなたの学びは、社会全体で大事にしている」というメッセージだ。 人口減少や財政の制約など、自治体を取り巻く環境は決して楽ではない。それでも、子ども時代に得た経験が、その人の人生を長く支えることを私たちは知っている。修学旅行への支援は、今を生きる子どもたちだけでなく、これからの地域を支える人を育てる、静かな投資なのだと思う

修学旅行は、子どもたちが世界を少し広げるための扉だ。その扉が、家庭の事情によって重く閉ざされてしまわないように。学校や家庭、そして地域が、それぞれの立場でできることを持ち寄りながら、子どもたちの学びを支えていく。その先に、安心して未来を思い描ける社会が、少しずつ形づくられていくのだと思う。

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この記事を書いた人

市民お一人おひとりの暮らしに寄り添い、その声を受け止め、少子高齢化問題や危機管理に関する解決策を即座に提起すること。そして、市民の皆さまが「長岡京市に住んで良かった」と安心して暮らせる街、さらに皆さまも何らかの形でかかわっていける街づくりをすすめていくためにはどうしたらよいか。
これまで私たちを育て、地域を発展させてきてくださった方々、高齢者世代の方々、若い世代の方々、地域の将来を担う子どもたちが安心して生活できること、皆さまが地域での生きがいや友人を得て、笑顔でいきいきと生活していくためにはどうすればいいのかを、しっかりと考えてまいります。

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