子育て支援は、誰に届いていないのか

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制度があるのに孤独が消えない理由


「孤独な子育てにしない」「孤独なお母さんをつくらない」。この言葉は、すでに多くの自治体施策の中に位置づけられている。子育て支援センター、相談窓口、伴走型支援、産前産後サポート――行政は決して何もしてこなかったわけではない。むしろ、制度の数だけ見れば、ここ十数年で子育て支援は大きく拡充されてきたと言える。

それでもなお、「孤独」は解消されていない。
この事実を前にしたとき、問うべきは「支援が足りないのか」ではなく、「支援は、誰に届いていないのか」という点である。

現場で見えてくるのは、支援が“必要な人ほど使えない”という現実だ。申請書を書く余裕がない、窓口に行く気力がない、知らない場に足を運ぶ勇気が出ない。制度は整っていても、その一歩手前で立ち止まっている人が確かにいる。孤独は、制度の外側ではなく、制度と生活のあいだの“隙間”で生まれている。

行政施策は公平性を重んじるがゆえに、「声を上げられる人」に届きやすい構造を持つ。だが、子育ての孤立は、多くの場合、声を上げられなくなったところから始まる。だからこそ、これから求められるのは「来てもらう支援」から「こちらから届く支援」への発想転換である。

妊娠期から出産、育児へと続く過程の中で、顔の見える関係が途切れずにつながっているか。制度は“切れ目ない支援”を掲げているが、実際には担当が変わり、窓口が変わり、人が変わる。そのたびに、関係性はリセットされてしまう。支援の継続性とは、制度の連続ではなく、人のつながりの連続でなければならない。

また、母親を「支援される側」に固定してしまう視点にも、限界がある。子育て中であっても、誰かの役に立ちたい、社会とつながっていたいという思いはある。ほんの短時間でも、無理のない形でも、役割を持てることが、孤独を和らげ、自尊感情を支える。支える側と支えられる側が入れ替わり、循環する仕組みを、行政はもっと意識してよい。

前議員として自治体の内側を見てきた立場から言えば、現場の職員は限られた人員と予算の中で、懸命に取り組んでいる。その努力を否定するつもりはない。だからこそ、「新しい制度を増やす」ことよりも、「今ある支援が届いていない理由」を丁寧に点検することが重要だと感じている。

孤独な子育てを生まない社会とは、特別な人を救い上げる社会ではない。困る前、声を上げる前に、さりげなく手が差し伸べられる社会である。
それを“母親の頑張り”に委ねるのではなく、社会の責任として引き受ける。その覚悟が、これからの子育て行政に問われているのではないだろうか。

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この記事を書いた人

市民お一人おひとりの暮らしに寄り添い、その声を受け止め、少子高齢化問題や危機管理に関する解決策を即座に提起すること。そして、市民の皆さまが「長岡京市に住んで良かった」と安心して暮らせる街、さらに皆さまも何らかの形でかかわっていける街づくりをすすめていくためにはどうしたらよいか。
これまで私たちを育て、地域を発展させてきてくださった方々、高齢者世代の方々、若い世代の方々、地域の将来を担う子どもたちが安心して生活できること、皆さまが地域での生きがいや友人を得て、笑顔でいきいきと生活していくためにはどうすればいいのかを、しっかりと考えてまいります。

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