地域の公園について思うこと

家の隣にある公園は、いま改装工事の途中にある。完成は2月末の予定だ。フェンスに囲まれ、遊具やベンチが一時的に姿を消した様子を見ると、日常の風景の一部がふっと抜け落ちたように感じる。あらためて、この公園が暮らしのすぐそばにあったことを意識させられる。

この公園では、地域の人それぞれが思い思いの時間を過ごしてきた。日曜日の昼下がりには父親と子どもがキャッチボールをし、早朝には近所の人がゴルフの素振りをする。放課後には子どもたちが待ち合わせをし、自転車の練習を繰り返す。赤ちゃんを抱いた母親が、少しだけ外の空気を吸いに立ち寄ることもあった。

高齢者も、散歩の途中に少し公園に入ってベンチに腰を下ろす。長く滞在するわけではないが、周囲を眺め、気持ちを整えてからまた歩き出す。その短い時間が、この公園にはよく似合っている。

どの使い方も控えめで、目立つものではない。それでも、誰かの専用になることなく、誰にとっても一時的な居場所として使われてきた。住宅の端っこにあるこの公園は、そうしたささやかな時間を、静かに受け止めてきたのだと思う。

フェンスが外れる2月末、この公園がまた当たり前の風景として戻ってくるのを、私は楽しみにしている。暮らしのすぐそばにある公園が、これからも変わらず、日常の一部であり続けてほしい。

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この記事を書いた人

市民お一人おひとりの暮らしに寄り添い、その声を受け止め、少子高齢化問題や危機管理に関する解決策を即座に提起すること。そして、市民の皆さまが「長岡京市に住んで良かった」と安心して暮らせる街、さらに皆さまも何らかの形でかかわっていける街づくりをすすめていくためにはどうしたらよいか。
これまで私たちを育て、地域を発展させてきてくださった方々、高齢者世代の方々、若い世代の方々、地域の将来を担う子どもたちが安心して生活できること、皆さまが地域での生きがいや友人を得て、笑顔でいきいきと生活していくためにはどうすればいいのかを、しっかりと考えてまいります。

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