4月1日から始まる「子ども・子育て支援金制度」に思うこと

2026年4月1日から、「子ども・子育て支援金制度」が始まります。

名前だけ聞くと、子どもがいる世帯に新たなお金が支給される制度のようにも見えますが、
実際にはそう単純なものではありません。
医療保険料に上乗せする形で広く支援金を集め、その財源を子育て支援策の拡充に充てていく仕組みです。

子育てを社会全体で支える。
その考え方自体には、私も異論はありません。むしろ、そうあるべきだと思っています。

子どもを産み育てることを、家庭だけの責任にしてしまってはいけない。
今の社会のしんどさを見ていれば、それはもう十分に明らかです。
子育てにはお金もかかる。時間もいる。気力も体力もいる。
そして、それを主に家庭の中、とりわけ親の責任として抱え込ませてきた結果が、
少子化や孤立や不安の広がりにもつながっているのだと思います。

だから、社会全体で支えるという方向性そのものは、間違っていない。
そこは、きちんと共有しておきたいところです。

ただ、その一方で思うのです。
こういう制度ほど、国民にもっとわかる形で示されなければならないのではないか、と。

何のために負担するのか。
その負担によって何が拡充されるのか。
誰に、どんな形で、どれほどの支えになるのか。
そこが見えにくいままだと、せっかくの制度も「また負担が増えるのか」
という受け止めだけで終わってしまいます。

制度というのは、つくることが目的ではありません。
暮らしの中で「助かった」と思えること。
子育て中の人が「少し息がつける」と感じられること。
将来に対して「もう少し希望を持っていいのかもしれない」と思えること。
そこまで届いて初めて、制度には意味があるのだと思います。

私は、子ども支援にお金をかけることに反対ではありません。
けれど、支えるのであれば、なおさら納得できる形であってほしい。
理念だけが先に立ち、国民に説明が届かないままでは、
支える側の理解も信頼も育ちません。

子育て支援は大事です。
本当に大事です。
だからこそ、「いいことをしているのだから文句を言うな」ではなく、
「大事な制度だからこそ、きちんと説明し、きちんと見えるようにする」
その姿勢が必要なのだと思います。

4月1日から始まるこの制度が、ただの新たな負担として受け止められるのではなく、
社会全体で子どもを育てるという考え方を、少しでも現実の安心につなげていけるものになるのか。
問われているのは、制度そのものだけでなく、その伝え方と、実感を伴う運用なのだと思います。

私は、子どもを支える政策には賛成です。
でも同時に、支えるなら、見えるように、わかるように、届くようにしてほしい。
そう思っています。

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この記事を書いた人

市民お一人おひとりの暮らしに寄り添い、その声を受け止め、少子高齢化問題や危機管理に関する解決策を即座に提起すること。そして、市民の皆さまが「長岡京市に住んで良かった」と安心して暮らせる街、さらに皆さまも何らかの形でかかわっていける街づくりをすすめていくためにはどうしたらよいか。
これまで私たちを育て、地域を発展させてきてくださった方々、高齢者世代の方々、若い世代の方々、地域の将来を担う子どもたちが安心して生活できること、皆さまが地域での生きがいや友人を得て、笑顔でいきいきと生活していくためにはどうすればいいのかを、しっかりと考えてまいります。

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