[節分]、もうひとつの年のはじまり

正月に立てた今年の目標が、少しずつブレてきている。
そんな実感を抱えたまま迎える節分は、不思議と悪くない気がしている。

元日は、毎年きちんと気持ちが整う日。
今年こそは、と思う。
その決意に嘘はないのだと思う。
ただ、日常が始まれば、仕事や体調、人との関わりの中で、目標は静かに形を変えていくのかもしれない。

それを失敗だとは、もう思わなくなった。
年齢を重ねるほど、計画どおりに進まないのが自然だと感じるようになる。

だから私は、節分を年の始まりと考えている。
正月は理想から出発し、
節分では現実を踏まえて立て直す。
そのくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

節分は立春の前日だ。
暦の上では、ここからが新しい一年になる。
豆をまくのも、厄払いというより、
少し背伸びしていた自分を、そっと下ろすための区切りのように感じます。

「こうありたい」よりも、
「ここまではやってみよう」。
「足す」よりも、
「そろそろ下ろしてもいい」。
そんな判断ができるようになるのも、年齢を重ねたからなのだと思う。

年は、一度きりで始まるものではない。
ブレに気づいた場所が、次の出発点になることもある。

正月の目標が揺らいでいるなら、節分でいい。
ここからが、本当の一年。
そう思って迎える春は、静かで、足元も少し安定している気がします。

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この記事を書いた人

市民お一人おひとりの暮らしに寄り添い、その声を受け止め、少子高齢化問題や危機管理に関する解決策を即座に提起すること。そして、市民の皆さまが「長岡京市に住んで良かった」と安心して暮らせる街、さらに皆さまも何らかの形でかかわっていける街づくりをすすめていくためにはどうしたらよいか。
これまで私たちを育て、地域を発展させてきてくださった方々、高齢者世代の方々、若い世代の方々、地域の将来を担う子どもたちが安心して生活できること、皆さまが地域での生きがいや友人を得て、笑顔でいきいきと生活していくためにはどうすればいいのかを、しっかりと考えてまいります。

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