七月二日は半夏生でした。
半夏生と聞いても、若い世代にはあまりなじみがないかもしれません。
私も、子どもの頃から強く意識していたというより、大人になってから「ああ、そういう季節の節目があったのだ」と感じるようになった気がします。
半夏生は、昔から田植えを終える目安とされてきた時期です。
関西では、この日にタコを食べる風習があります。
稲の根がタコの足のようにしっかり大地に根づくように、という願いが込められているといわれています。
考えてみれば、昔の人は本当に自然とともに暮らしていたのだと思います。
暦を見て、空を見て、雨を待ち、田畑の様子を見ながら、暮らしの区切りを感じていたのでしょう。
長岡京市も、今では住宅地としての印象が強くなりましたが、少し歩けば田畑があり、
季節の移ろいを感じる場所がまだ残っています。
田んぼの水面、青く伸びる稲、夕方の風。
そうした風景を見ると、まちは建物や道路だけでできているのではなく、
土や水や季節の上に成り立っているのだと感じます。
七月は、半夏生に始まり、七夕があり、京都では祇園祭の季節でもあります。
行事が続く華やかな月ですが、その根っこには、無事を祈る気持ちや、暮らしを整える知恵があるように思います。
暑さが厳しくなるこれからの季節。
忙しさの中で、つい季節を感じる余裕をなくしてしまいがちです。
でも、半夏生にタコを食べる。
七夕に空を見上げる。
祇園祭のニュースに夏の京都を感じる。
そんな小さなことが、日々の暮らしに区切りをつけ、地域とのつながりを思い出させてくれるのではないでしょうか。
昔から受け継がれてきた季節の行事を、今の暮らしの中でも大切にしたい。
半夏生を過ぎた七月のはじめに、そんなことを思いました。